天気が勝敗を決した古戦場を探訪しよう
戦国合戦の地を探訪する戦国マスターの、私まなきねこがお送りする今回のお話は合戦における天気のお話です。
戦国合戦の勝敗原因は兵数? 戦術? あの【天下分け目の決戦】にも意外と知られていない勝敗の要因に、『天気』があります。
今回は天気が勝敗を左右した合戦のご紹介をします。
古戦場巡りをする際に天気のことも考えながら巡り歩くと、また違った一面が見えてきて興味深いです。
濃霧
霧はロマンチックな気象現象ですが、戦国の合戦においては勝敗を左右する大きなファクターでした。
濃霧が勝敗を決した二つの戦いをご紹介しましょう。
川中島の戦い
ご存じ川中島の戦いは甲斐の虎『武田信玄』と越後の龍『上杉謙信』の軍勢が信濃の国八幡原で相まみえた戦いです。
両軍深い霧の中で相手を出し抜こうと移動したものの、偶発的に八幡原でかち合った遭遇戦でした。お互い多数の死傷者を出しながら、引き分けたとされる合戦です。
両軍合わせて7000人もの戦死者!
霧が勝敗を決したわけではありませんが、戦国合戦最悪の死傷者を出した大きな原因となったのは確かです。
アクセス
- アルピコ交通バス 利用
- JR長野駅(善光寺口)3番のりばから古戦場経由松代行きで川中島古戦場下車すぐ
関ケ原の戦い
関ケ原の戦いでは多数の裏切りが出て西軍が敗北したといいますが、この裏切りには濃霧が関係したともいわれています。
濃霧の中、有利な陣を張り東軍を待ち受けた西軍諸将でしたが、霧が晴れてみると目の前に東軍主力の徳川本隊が出現しました。
肝を冷やした西軍『小早川秀秋』が慌てふためいて、家康との密約だった寝がえりを決心したともいわれます。
諸説あります。
合戦後は豪雨となり、西軍諸将の涙雨だと噂されました。
アクセス
- JR東海 東海道本線 利用
- 岐阜関ケ原古戦場記念館 関ケ原駅出口から徒歩約6分
雨天
雨もまた合戦に大きな影響を及ぼしました。ここでも雨天を利用した合戦をご紹介します。
桶狭間の戦い
桶狭間の戦いは『織田信長』が東海一の弓取りと言われた『今川義元』を奇襲で破った戦いです。
東海地方随一の力を誇った今川義元は、武力で京都に上洛しようとして行く手を阻む弱小大名の織田信長を一気に蹂躙しようと、尾張の国になだれ込みます。
猛暑の中、突然の豪雨が今川軍に降り注ぎ、行軍を止めて雨宿りをしているところを織田軍が急襲。
織田軍にとって、正に天祐でした!
大勝続きに油断した今川軍は大混乱に陥り、総大将今川義元が打ち取られた合戦でした。
豪雨では行軍を止め、気を抜いて休憩することを見抜いた織田信長、起死回生の勝利でした。
アクセス
- 名古屋鉄道 名古屋本線 利用
- 桶狭間古戦場記念館 名鉄本線中京競馬場前駅から徒歩約18分
手取川の戦い
手取川の戦いは、天下統一を目指す『織田信長』が北陸を手中にしようと柴田勝家、羽柴秀吉ら鉄砲部隊を主力とした4万の大軍を北陸に差し向けて、加賀と能登を制圧しようとした合戦です。
この動きに対し、越後の龍『上杉謙信』が1万2000の軍勢で立ちふさがりました。
合戦の日、雨天を察した謙信は「鉄砲は雨と夜襲が重なれば恐るるに足らず」と言い放ち、手取川を渡河した織田軍を滅多打ちにして川に追い落とし、大勝利を収めたのでした。
戦術の駆使が、軍神と言われた所以です。
上杉謙信は、雨の夜奇襲を仕掛けると鉄砲は手も足も出ないことを見抜いていたのです。
アクセス
- IRいしかわ鉄道 利用
- 手取川古戦場石碑 IR小舞子駅から徒歩7分
以上、天気によって勝敗が決した4つの戦いの古戦場をご紹介しました。この他にも雪や台風に影響を受けた様々な合戦があります。
古戦場巡りをする際には、ぜひ当時の天気のことにも思いをはせて巡ってみてはいかがでしょうか。
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